杉田 かおる(すぎた かおる、1964年11月27日 - )は、日本の女優(元・子役)、タレント。結婚前本名、橋本 薫(はしもと かおる)。所属事務所はオフィスPSC(2019年10月1日より)。2020年1月22日からYouTubeチャンネル『杉田かおるのオーガニックヘルスリテラシー』でYouTuberとしての活動も開始している。 41キロバイト (4,923 語) - 2022年1月24日 (月) 08:11 |
1/30(日) 6:10配信
女性自身
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住んでいた場所は違っても、年齢が近ければ「そうそう! わかる」って盛り上がれるのが、青春時代に旋風を起こしたバンドの話。各界で活躍する同世代の女性と一緒に、“あのころ”を振り返ってみましょうーー。
「『鳥の詩』(’81年)をリリースしたり、ホームドラマに出たりするような、全国の“とんがっていない人向け”女優だったので、そのイメージを壊しちゃいけないと思って、とんがっているBOOWYのライブには行くことはなかったのですが、自主製作映画(氷室京介主演で’84年に初公開された『裸の24時間』)の上映会に、ゲストとして呼ばれたときには、少しでも力になることができればと思って参加しました。BOOWYが売れて雲の上の存在になったときは、母と一緒にすごく喜んだんです」
こう語るのは、女優の杉田かおるさん(57)。
デビュー当時から応援していたBOOWYが駆け抜けた’80年代を、「レコードからCDに代わり、土地の値段はどんどん上がっていくーー。1年が10年分に感じられるほど、世の中が目まぐるしく変化していった時代。一歩間違えれば奈落の底に落ちてしまう側面もありましたよね」と振り返る。
杉田さんも、危ういバブル経済の渦中にいたとか。
「じつは二十歳のころに買った2000万円のマンションが、バブルの初めに倍以上の値段で売れ、次に4000万円のマンションを購入していたんです。それをいつ売るか、冷静に見極めなくてはならなくて、女優の仕事どころじゃなかったことも……」
購入したマンションを1000万円かけてリフォームし、ここが多くの出会いを招く“開運部屋”となったという。
「母が近所の人や私の仕事仲間を呼んでご馳走するのが好きで、ドラマ(西武スペシャルドラマ『友よ』’84年・日本テレビ)で共演したチャゲ&飛鳥の飛鳥(涼)さんが、遊びに来たことがあるんです。当時はVHSが普及してきたころで『ちょっとボクってすごい天才なんですけど、聞いてもらえますか』って、ミュージックビデオを何本も見せてもらいました。そのあと『モーニングムーン』(’86年)や『ガラスの十代』(光GENJI・’87年)が大ヒットしたんです」
■たまたま終電を逃したBOOWYを泊めることに!
さらにこのリビングが“開運部屋”であることを確信させたのがBOOWYだったという。
「私の不良仲間にBOOWYのマネージャーをやっていた人がいて、ずっと『才能がある』と聞かされていたんです。たぶん彼らのメジャーデビュー前後だったと思うんですが、その人から『目黒駅近くで練習していたんだけど、終電を逃してしまって。みんなお金がないから、始発まで家に置かせてもらえない?』と、夜中に電話があったんです」
しばらくすると、黒い服を着た男たちが、30畳のリビングを見て「うわー、広いなー」と言いながら、ぞろぞろ入ってきたという。
「そのときは誰が氷室(京介)さんで、誰が布袋(寅泰)さんかわかりません。ウチには布団がなかったんですが、彼らは『雑魚寝でいいです』って。帰りの交通費もないくらいだから、おなかも減っているだろうと、次の日の朝は、母がごはんを作って食べさせてあげたんです」
帰り際、メンバーの一人が「ボクたち、お礼も朝ごはん代もなくて」と、なぜか靴下を置いていったという。
「母も『気持ちはわかるんだけど』と言いつつ、その律義さに笑っていました。いろんな人がウチに遊びに来ましたが、こんな生真面目にお礼をしていったのはBOOWYだけ(笑)」
その後、瞬く間に’80年代を代表するバンドに成長。
「誰よりも早く宝物を見つけたような、得した気分でいます」
この開運部屋もBOOWY人気でさらにパワーアップしたのだろう。バブルがはじける前に売ることができたとか。
’80年代の荒波を無事に乗り越えられたのは、BOOWYのおかげだった!?
(出典 newsatcl-pctr.c.yimg.jp)
https://news.yahoo.co.jp/articles/f43d545bc5793e9389ce656fedcdcc6b49f0ac2e
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>>1
氷室かっけーな
杉田かおるいらねー
ちょっと布袋に語って欲しい
流石に覚えているだろ
嫌味だよね
この靴下て使用済み?
いい話だなぁ
誰か布袋か高橋にツイで聞いてこいよw
デビュー前でも氷室はみたら絶対一目で忘れられないよなあ
>>9 ホタイなら早く忘れたくなるはず
3大かおる
杉田かおる
小林薫
小田かおる
こういうのはさあ
BOOWYのメンバーかBOOWY側の関係者が
実はその昔~という秘話なら良いけど
泊めた側が言っちゃダメなやつでしょ
自慢話になっちゃうよ
>>11
自慢したいんじゃないの?
>>11
話をしちゃダメとか意味不明過ぎて草
>>11
よくわからんマナーだな?
どういうこと?
唐突にはさまれるASKAのエピソード
あすかってそういうキャラだったの
>>13
冗談半分 本気半分くらいで
そういう事言うタイプ
ASKAのくだりがw
今その話する必要ある?
貧しさとは松屋で牛丼を食うことではない。
松屋の店員に怒鳴る人間になることではないか
泊めた日の夜のONLY YOU
解散から15年もの月日が経っても、未だ伝説としてその人気は衰えない。
それどころか、最近リリースされているDVD等の売り上げも驚異的だ。
そういう息の長い人気はプロレスにも通ずるトコロがある。とことん語ろうsぜ!
ちなみにマイベスト
1.鏡の中のマリオネット
2.B.BLUE
3.DREAMMIN
4.ONLY YOU
5.わがままジュリエット(ちょっと渋すぎるかW
>>20
「解散から15年」て…
このコピペの息の長さよ
うらやましい
5枚で千円とかまとめて買ってたのかな
臭いの貰っても捨てるだろw
自慢話には違いないが
本当だったらとてもあったかいいい話だから聞けて良かったわ
実はチョコプラだったとかはない?
高橋に聞けばすぐ食い付くだろ
この頃の昔話で生きてるんだから
靴下って脱いだ靴下なんだろうか
一足だけなのか人数分なのか
ガラガラの新宿ロフトで
付き合いでライブ見たことあるけど
あんなに売れるとは思わなかった
面白い話じゃん
靴下置いていったのは誰なのか
私の不良仲間に杉田さんやんちゃだもんね
ロケ先で知り合ったカニ漁師とその晩やった話面白かったな
靴下が履いていた物か新品なのか説明してほしい
そうでなくとも意味不明なのに
誰が靴下なんて置いてったの古事記じゃないんだからさw
まさか使用済みじゃないだろうなwwwwww
確かにこれは自慢できるな。
すげーエピソードだな。
布袋はとぼけそうだから、マコっちゃんに聞いてみてほしい
まだ六人の頃かな
その晩できた曲が、わがままジュリエット(ちょっと渋すぎるかW
>>43
そこはランデブーで
単なる自慢かと思って読んだら結構すごい話だったw
靴下置いていくって律儀なの?
メジャーデビュー前後ということは
深沢、諸星がいた頃か
高橋はいたのかな
ビートたけしんちに諸星がいたみたいな事か?
男物の靴下置いてかれても困るだろうにw
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